15日、きらめきホールにて、講座最終のコンサートに出させていただきました。
今回は、クライスラーの数ある作品の中から、美しきロスマリン、ロンディーノ、スペイン舞曲を選んでみました。
ロスマリンは、その名の通り、美しい女性ローズマリーを称えた可愛い曲。
ロンディーノは、ベートヴェンの主題による、ということで、確かにベートヴェンのソナタのメロディが出てきます。
そして、スペイン舞曲は、ギターの名手グラナドスの曲で、クライスラーが編曲したものです。
スペインの土っぽさと情熱を感じる民族的な雰囲気のダンス、中間部は白い教会での祈りの雰囲気。この曲は、私がまだ大学生だった頃、ギター奏者と初めて合わせた思い出の曲で、あの当時は、きっちりしたクラシックしか弾いたことがなく、雰囲気がなかなかつかめませんでした。うん十年経ってやっと、雰囲気がわかってきたかなと思います。ピアノの岩本さんのおかげです。
そしてもう一曲は、和楽器奏者の菊央雄司さん、フルートの高橋成典先生、ピアノの高橋曜子先生と共に、曜子先生が編曲されたラモー作曲の「タンブーラン」を演奏させていただきました。
ラモーという作曲家はあまり知られていませんが、バッハと同じ時代の作曲家で、宗教曲などもたくさん作っています。ヴァイオリンも、教本に一曲だけ、ガボットが載っています。
「タンブーラン」はタンバリンを持って踊る曲で、こちらはスペイン舞曲とはまた違い、足踏みを強調するような楽しい曲でした。
初めて胡弓と一緒に弾かせていただきましたが、ヴァイオリンと同じく馬の尻尾の毛で弦を擦る楽器でも、発音がヴァイオリンとは全く違い、いろんな発見がありました。
終演後、菊央雄司さんと共に。
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3月11日に寄せて
あれから6年。
まだ6年か、と思う。それほど日常に追われ、長い時間が経ったように思う。
あの日私は、今は無くなったホテル日航茨木でのロビーコンサート最終日のお手伝いに、車で向かっていた。
その途中で地震が起こった。携帯に速報が来て、ホテルに着いて皆さんに知らせるが、皆は準備に忙しく、殆ど取り合ってもらえない。
コンサート本番を横で見守りながらも、携帯に次々に来る揺れの速報に気が気ではなかった。
終わって車で帰りながら見たテレビ画面に唖然とした。
それから、東京に住む友人、千葉に住む親戚に連絡をするが、なかなか繋がらない。
ようやく連絡がついた友人は、東京都内のホールで本番中に揺れて、帰宅難民になっていた。
千葉の親戚に連絡がついたのは翌日。岸壁で釣りをしていて、ヤバいと思って逃げ帰ったそう。その後その岸壁には津波が押し寄せた。
毎日毎日、心を揺さぶられるニュースばかりだった。
枕元に、防災グッズを用意していた。
ところが、一年経ち二年経ち、だんだんと平穏な日常に、地震のことを忘れている自分がいる。いえ、決して忘れているわけではない。
ただ、今ここで起こる、とは思っていないのだ。それが一番怖いのかもしれない。
常にシュミレーションをしておくことが、一番の防災なのではないかと思う。
Valentine’s day
この頃は、彼氏にあげるより、女友達と楽しんだり、自分へのご褒美に、チョコレートを買うほうが多いようですね。
私も、チョコレート大好きなので、この時期はワクワクします。
そんな中、なかなか手に入らないチョコレートをご紹介!
ひとつは、小学生の生徒さんMちゃんから頂いた手作りチョコ💗
ひとつずつ可愛いデコレーションに、バックのパッケージも音楽で、とってもハッピーになりました。Mちゃんありがとう!
もう一つは、たまたまデパートの店頭で見つけた、ピーターラビットのチョコ。中身はピーターラビットが3匹とお花でした。入れ物の缶が使える!と即買い。きのうもう一つ欲しいなとデパートへ行きましたが、完売でした!
ホント、チョコレートには魅了されますね。
岩淵先生を偲んで
昨年の1月5日鬼籍に入られた、元京都芸大の教授、岩淵龍太郎先生を偲ぶコンサートが、この5日に開催されました。
岩淵先生には、京都芸大に入る直前から何度かレッスンをしていただき、大学時代は弦合奏の授業でお世話になり、卒業後、京都室内合奏団でソロをさせていただいた時もレッスンしていただきました。その後、神戸室内合奏団でも大変お世話になりました。嬉しかったことも悔しかったことも、語り尽くせないほどの思い出があります。
豪快ながら、きめ細かい先生の薫陶を共に受けてきた弦楽器専攻の先輩後輩が一堂に会してのコンサート。京都コンサートホールムラタのみんなを包み込む響きも素晴らしく、92人でのアイネクライネナハトムジークは圧巻でした。
日頃の演奏活動で個人的に会う方はいますが、これだけのメンバーが一堂に集まることは、この先もう無いでしょう。本当に夢のような刻でした。そして、岩淵先生の教えを受けられたこと、この学校で学べたこと、嬉しく誇らしく思いました。
あけましておめでとうございます
2017年開けました! 今年は年末年始穏やかに晴れて、お正月を迎えるのにふさわしい気候でした。
除夜の鐘が大晦日夜10時ごろから始まり、東急ジルベスターコンサート、今年は「ダッタン人の踊り」でカウントダウン。いつも感動の瞬間を味わうのですが、今年も大友直人さん、見事にぴったりでした。以前、お仕事でご一緒したことがあり、応援にも力が入りました!
除夜の鐘は、12時半頃まで続いていたような…気がします。
そして、元日の夜は、ウィーンフィルニューイヤーコンサート♬指揮者のドウダメルさん、3時間近いプログラムを、全曲暗譜です!
バレエも素敵でした!特に客席で踊られたのが素晴らしかったです。手足が客席にあたるのでは…とハラハラしました。
年賀状の整理をしていたら、早くも2日。。
今年も、時間の流れが速いのだろうなぁ。一日いちにち、今を大切に過ごしていきたいと思っています。
お庭の水仙。昨年は一輪しか咲かなかったのに、今年はたくさん咲いてくれました。お正月を感じるお花なので、仏前にもテーブルにも飾っています。
鯛めし
クリスマス会
皆さまはどんなクリスマスを過ごされたのでしょうか?
私は、生徒の皆さんとご父兄の皆さまとともに、クリスマス会で楽しみました。昨年から、近くの音出しOKの会議室をお借りして、クリスマス曲の演奏と、ささやかなお食事、ゲームで過ごしています。
今年は電子ピアノをお借りできたので、曲の厚みも増し、より楽しめました。年代は、4歳から50歳代まで幅広くて…とても賑やかでした。
また、家の片付けをしていて発見したBINGOゲームもやったのですが、それはおそらく40年くらい前のものかと…今は使い捨てが当たり前のカードですが、うちで見つかったBINGOの数字カードは、穴を開けていくのではなく、番号の上にチップをのせていくもので、ずっと使い続けることができ、究極のエコだと感心してしまいました。難点は、少しの振動でチップが移動してしまうので、大騒ぎしながらやっているとわからなくなる、ということでしょうか。でも、かなりの盛り上がりと共に今年のクリスマス会は閉会したのでした🎅
お手伝いくださったご父兄、生徒の皆さま、ありがとうございました💝
昭和の家
この頃、昔の家をリフォームする、とか、解体する家から古材を集めて新しい家に使う、とか、昭和の、またはそれより前の建物に注目が集まっていますね。
私が生まれ育った家も平屋の賃貸でしたが、歴史があったようで、襖と障子に囲まれ、玄関には土間から上がると3畳の畳の部屋があり、台所は土間だったところにスノコを敷いて使っていて、できたお料理は、2段階段を上がってテーブルに持っていくような造りでした。お風呂は、私が生まれる前までは蒔を焼べていたそうですし、御手洗は勿論汲み取り、また、押入れから屋根裏に入れたり、庭の松の木の下には井戸があったり、裏から植木のトンネルを抜けるとお隣につながっていたり、また縁側が家の二方をぐるっと囲っているような家でした。
友達と家の中を走り回っていて、縁側の一枚ガラスの引き戸に思い切り手をつき、割ってしまったことがあります。怪我はしなかったものの、ガラスがすぐには調達できず、新聞紙を貼って何日かしのいだ苦い思い出があります。
障子の張替えや畳の表替えは、よく手伝っていました。というか、畳の下から意外なものが出てくるのが面白くて、邪魔をしていました。また、押入れだったところに食器棚と冷蔵庫を置いたり、ベッドを置いて使ったりしていました。
当然、ご近所の方々は皆さん顔見知りで、鍵っ子だった私のことを気にかけてくれていたようです。窓を開けたままピアノの練習をしていても、文句を言うどころか、窓の外から見ていた近所のおじさんが、「上手になったね〜」と言ってくれるような時代でした。
でも私は、お友達のモダンな家が羨ましかったようで、中学に入ると同時に引っ越した、新築のプレハブの家が嬉しくて仕方なかったのを覚えています。初めて、お部屋にドアがつき、クローゼットもあり、サッシの雨戸も新鮮でした。キッチンには、当時流行した両面ハッチ。キッチンとテーブルを食器棚の両面ハッチで仕切る造りでした。自分の部屋にベランダがあるのも、嬉しかったなぁ。
それから何回かの引っ越しを経て、7年前、マンションに憧れている私が住むことになったのが、築50年は経っている日本家屋。
真っ白い壁と天井が良かったのに、とか、お庭があっても虫嫌いだし、とか、色々躊躇する理由はあったのですが、色んな事情で年末に引っ越しました。荷物を解きながら迎えた大晦日。すぐ前のお寺から、ゴ〜ン、ゴ〜ン、こんなに近くで除夜の鐘を聴くのは初めてで、それも毎年の楽しみになりました。
ぼろぼろ落ちるのが嫌いだった土壁ですが、吸湿性に優れ、呼吸が心地良いことに初めて気づき、お庭も少しずつ楽しみ、縁側や押入れ、床の間をフルに活用しています。
水回りだけは新品に替えてあったので使い心地よく、うちに来られた方は皆さん、和洋折衷のレトロ感に居心地が良いと言ってくださいます。寒いのは仕方ないですが、本間サイズの広さと、カビが発生しにくい風通しの良さを満喫しています。
きょうも、近所の木造住宅が取り壊されているのを見ましたが、立派な柱などが見え、ぜひ再利用してほしいなと思いました。
写真は、うちの天井と土壁と、ガラス障子です。
追悼 林智之氏
NHK交響楽団のヴァイオリン奏者、林智之氏が、12月4日、亡くなられました。
私の小学校時代からの恩師、林靖子先生のご子息です。
今年春にご病気と伺っていましたが、屈強なお身体なので、きっとお元気になられると信じていました。それなのに、無情なお知らせ。とてもとても残念で、先生のお気持ちを思うと涙がとまりません。
私が小学生のころは、林先生はとても厳しい方で、お宅の門の前で足が止まることもよくありました。
でも、智之さんが生まれられて、レッスン中に泣きだすと、隣のお部屋へ行って、あやしたりミルクをあげたりされていて、その時は優しい母の顔になられていて、厳しい中でもホッとする瞬間でした。
幼稚園生の頃には、お母様からヴァイオリンの手ほどきを受けてられた智之さん。朝、練習して幼稚園に行き、帰ってきてもまた練習。ヴァイオリニストになるには、これほど厳しい練習が必要なのだなと、子供心に、私には無理!と思っていました。烈しい親子バトルもあったような…
でもその厳しさが功を奏し、東京芸大付属高校から東京芸大へ進まれ、NHK交響楽団へと、音楽家の中のエリートコースを歩まれ、今年N響勤続20年になられたとお喜びだったのに。
また、昨年は、うちの生徒S君が一年間東京生活になり、その間、智之先生の愛情溢れる厳しいレッスンを受け、とても上達して帰ってきました。そのお礼を言うこともできないまま…
もっともっと活躍していただきたかったのに、心よりご冥福をお祈りいたします。
門真市民コンサート
きのうは一日雨でしたが、門真市ルミエールホールでは、熱い演奏が繰り広げられました。
「ヴェネツィアより愛をこめて」ということで、ヴィヴァルディの作品の中から、ヴァイオリン協奏曲。これは、辻井淳さんのソロ。研ぎ澄まされた感性と緻密な演奏に寄り添い、続くフルート協奏曲では、ラック・ザビエルさんのロマンティックで激しい演奏に食らいついてゆく、というアンサンブルで参加させていただきました。
その前に、昨年立ち上げられたジュニアオーケストラに所属した小3のS君、ジュニアのみの「主よ、人の望みの喜びを」と、「星に願いを」に続き、小4のY君とバッハのドッペルを、こちらは大人のアンサンブルをバックに、堂々と披露しました。
昨年のAちゃんもそうでしたが、物怖じせず、いつも以上の力を出せて、しかも楽しんで弾ける、演奏家として大事な根性が座っているということでしょう。私から見ても、羨ましい子どもたちです。毎日の練習の成果であることは間違いありません。
これからもどんどん演奏の機会を増やしてあげたいと思います。
そして、最後は、やはりヴィヴァルディの合唱「グロリア」トランペットも入り、高らかに締めくくられました。
写真は、辻井淳さんとの練習風景です。
こちらはジュニアの演奏のリハーサル風景です。