合奏団の練習は3日間続いた。一日ごとにメンバーが戻ってきて、被災状況がわかってくる。窓ガラスがほぼ割れて、いつ泥棒に入られてもおかしくない、とか、本番衣装をとり出せない、とか、お風呂に入れない、とか……この寒い季節、お湯が出ないことがどれほど辛いか……
それでも練習に出てこられる、プロとしての気概を見せつけられました。
震災から4日後、迎えたコンサート本番。
指揮者の挨拶から始まりました。「開催するかどうか、とても悩みました。でも、こういうときこそ音楽は必要だと思いました。被災したメンバーにも後押しされました。」
犠牲になられた方々への黙祷のあと、プログラムには無かった、モーツァルトのレクイエムの一曲を演奏。その後、予定していた、モーツァルトの「フィガロの結婚」フィガロとスザンナとの結婚をめぐる喜劇です。
来場を断念されたお客様も多く、客席はいっぱいではなかった。でも、本当に温かい拍手をいただきました。
メンバーの中には、練習のあいだだけ、大阪市内の知人の家に滞在する人もいたし、楽屋の流し場で髪を洗う人もいた。でも、舞台では、疲れも見せず、完奏された。私は敬服するのみだった。
その翌日、電話があった。連絡がつかなかった西宮の友人からだった。家は全壊して、お母様と一緒に小学校に避難していたそう。
「よかった!」その後は、言葉にならなかった。
翌週、彼女の家の片付けを手伝いに行った。階段は半分壊れ、二階に上がるには、ヘルメットに手袋が必要だった。リヤカーを借りてきて、取り出せるものは取り出し、体育館に運ぶ。とにかく砂埃がひどかった。
その後、彼女はアパートを借り入居することができた、が、家財道具がまったく無く、うちで眠っていたこたつや毛布を運んだ。
彼女は淡々としていたが、思い出の品々がたくさん破壊され消えてしまったその悲しみは、今も残っていることと思う。
Private
阪神・淡路大震災 翌日から
淡路島もかなりの被害だった。正確には、【阪神·淡路大震災】である。
翌日は、4日後に予定されていた合奏団のコンサートの、練習初日だった。もちろん中止ですよね?と確認したら、出てこられるメンバーだけでやる、という。午後、大阪梅田に阪急電車で向かう。
京都は被害が少なかったので、服装はいつも通りで出かけたら、大阪では、運動靴にリュックなど、避難できる格好で歩いている人が多く、ヒールに楽器を持っていると、『非常時なのに……』といった目で見られているような気がした。
その日の練習には、全員は集まれなかった。皆さんの安否確認。全員、命は無事だった。けれど、家の被害がひどく、出るのが難しい人も多かった。
別の楽団の主催者の家は、全壊に近く、オーケストラの楽譜がほぼ使えなくなった、と聞いた。
私にできることは何か?
ガスや電気が使えなくなっている阪神間の友人にカセットコンロ、電気だけ使える友人には電磁調理器を、近所の電気屋で最後の一台を購入し、送った。
郵便局には、そういう支援物資を送る人がたくさんいた。
いち早く大阪のホテルに避難した友人には、練習に行く前に、京都から持ってきた生活必需品を渡しに行った。いろんなものが、店頭から無くなっていた。
そんな中でも、3日間、合奏団の練習は続いた。
阪神大震災から27年
あの日、私は京都の実家の二階で寝ていた。明け方6時前、ひどい揺れで目が覚めた。「どすん!」枕元のターンテーブルに乗せたばかりの小型テレビが、床に突っ伏していた。
しばらく様子をうかがっていたが、あまりの静寂に心配になり、窓を開けてみた。向かいの家の屋根瓦が2.3枚落ちていた、だけだった。
階下に降りてみたら、グランドピアノの横の天井までの本棚から、本が何冊も落ちて、グランドピアノに傷をつけていた。
慌ててテレビをつけた。神戸のほうが震源らしい。神戸市長田区で、あちこちから火の手があがっている様子が映し出されていた。
大変な地震が起きたんだ、と、釘付けになった。でもそのときの情報は、まだまだ序の口だった。
夜が明けるにつれ、いろんな状況が見えてきた。
高速道路が割れ、落ちかけているバス、阪急神戸線と宝塚線沿線の駅や線路の破壊状況……
いや、たぶんそれは、何日か後に映像で見た記憶であって、実際はまだ何もわかっていなかったと思う。
とにかく私は、阪神間に住む友人に片っ端から電話をかけた。
その5年前まで宝塚に住んでいた私には、宝塚、西宮、尼崎、芦屋、神戸などにたくさんの友人が居た。
携帯電話はまだそんなに普及しておらず、各家にかけた。電話が繋がった友人は、一応に呆然とした様子だったが、無事が確認できた。
ただ一人、阪急西宮北口の近くに住む友人だけ、電話が繋がらなかった。。
その日は、舞台の観劇予定が昼と夜に入っていたが、すべてキャンセル。 ただただテレビを見ているだけだった。
(明日に続く)
成人の日
きょうは成人の日!街には、振り袖姿の女性がたくさん……
昨日と一昨日は、着物を着るために伸ばしている前髪を切れない、とか、ネイルするために爪を切れない、とか言いながらレッスンに来られた新成人の生徒たちと、ワクワク感を共有させてもらいました。
思い返せば、ウン十年前、私自身の成人の日は、舞台の上でした。その当時所属していた、神戸フィルハーモニー管弦楽団が、神戸市の新成人の集いで演奏する側だったから。
司会の方に「楽団の中にも、成人式を迎える方々がおられます!」と紹介され、抱負を述べた記憶があります。
母の選んでくれた振り袖を着て、ホテルの写真室で前撮りをしました。お見合い写真だねと言われながら……
その大切な振り袖は、その後、何回か友人の結婚式に着て行きました。
そして数年前には友人の娘さんに譲り、成人式、結婚式で大切に着てくれています…友人が送ってくれた娘さんの写真です。
今も、母が着付けてくれた日のことを思い出します。
同窓会
先日、高校の同窓会がありました!
半年前から幹事の方が決めてくれていた日、みんなで集う予定だったのですが…
コロナ感染防止のため、オンラインで繋がることになりました。
一対一ではできるようになっていましたが、複数人では初めて。。
全員が同じ画面に映らなくて、みんなで試行錯誤。
結局、私のタブレットでは、4人ずつしか映りませんでした。
でも、お久しぶりのみんなと話せて面白かった!
今度はオンライン飲み会をしようということに。
そして、早く集える日が来ることを願っています。
さくら
令和元年❗️
お盆
早くも、と言うか、やっと、と言うか、お盆休みに入りました。今年は本当に毎日が目まぐるしく過ぎていきます。
お正月に決めた引越し、荷物を整理する間も無く引越しの日がやってきて、荷物の入った段ボールが残ったまま発表会の日が来て…
発表会は、楽器が壊れたり、弦が切れたり、今まで経験した事のないハプニング続き。
ゴールデンウィークにやっと荷物が片付き、つかの間春を楽しんだら、これまた経験した事のない地震!
せっかく片付けた食器の半分近くが割れてしまい、片付けに追われ…
瓦がずれた屋根にブルーシートが張られたら、何日も続く大雨に、雨漏りを心配し…
ようやく太陽を拝めたと思ったら、経験した事のない猛暑。
そんな中、オーディションを受ける生徒さん、コンクールに出る生徒さんたち。猛暑をものともせず、レッスンと練習を重ね、本番に臨みました。
オーディションに無事合格して、Jr.ストリングスのコンサートに出演したEちゃん、コンクールに挑んだNくんSくんAちゃん、みんな普段どおりの力を発揮。
普段どおり、というのが、なにより大事なのです。本番はいつもの80%出せたら良いほうだと思っているので、平常心で臨める、それだけで私のなかの点数は上がります。
それぞれの結果をいただき、夏のイベントは終了。
その後、半年に一度の集まりで、お盆休みに入りました。今年は、「ウナギのしゃぶしゃぶ!」
骨からのお出汁が格別で、抜群の美味しさでした❗️
My Fan!
紫陽花の季節
梅雨真っ只中。大好きな紫陽花が、今年は咲かず…
葉っぱは元気いいのに、と悲しんでいたら、生徒のお母様から いただきました、立派な紫陽花。
お庭で育てておられるのだそう。
お気に入りの白い大きな花瓶に入れて、玄関に飾っていました。。。
6月18日朝、経験したことのない強い揺れに飛び起き、慌てて階下に行くと、玄関の花瓶は無惨に砕けて、お花だけが倒れていました。
その後、キッチンで見たものは、お気に入りの食器が散乱した悲しい光景でした。
幸い、楽器は無事で安堵しましたが、本当にいつ来るかわからない地震。
余震に怯える夜。せめて、紫陽花の夢で癒されたい。しかし、入れ物が無くなった紫陽花は、バケツに入れられ、玄関の外に置かれることに。
その日から一週間。。
今も、紫陽花はバケツの中です。